イエスとエッセネ派

エスエッセネ派
本の内容について少し書こうと思う

エスといえばキリスト
キリストは奇跡を起こし、神の領域にある人だと思っていたが、この本を読んでとても身近に感じた。それは、今有る教会にとっては不都合なことであろうと思う。イエスは身体は復活もしていないし、霊体で、見えていただけであり、本当、このくらいならできるなって感じ。モーゼもとても人間的、そして、一神教の意味は、自分が神だということにほかならない。自分自身に従え。そう言ってたのだ。これを読んでるとローマって💦って思う。世界ってそうゆうものだ。みんな、勝った国の都合の良いように改ざんされ、人民の考える能力を奪い、お前は大したことない❗ってめっちゃ言われて、怒られて、意欲を無くされて、自分て駄目なやつだ〜❗って思わせる。

負けないでね
自分は素晴らしい
誰がなんと言おうと自分で考え、自分で決めて生きよう。

エッセネ派は砂漠に有るオアシスみたいなところに永遠と受け継がれてきた叡智を伝えるためにひっそりと学んでいた。活動してた共同体。それは、そうでなくては保存出来ないくらいローマの価値観が違う奴はぶっ潰すっていう思想が有ったから。

そしてミステリースクール、神智学、魔術的なものも、結局、エゴの無い状態の人でないと、災いが起こるから、秘密にしてた。エゴを無くすために瞑想とか食事とか、色々、強いて言えば約束があったのよね。

これって、ツインレイの話しにも繋がる。結局、世の為にと、自分の欲望をコントロール出来る人じゃないと、魔法は使えない。というか、世の為と動くなら、その願いは求心的なチカラが湧いて、現実化するもの。と言える。その為にある意味欲望のコントロールが当たり前に出来る様に導かれる。それは、無理矢理じゃなくて、自然に魂から望んでそうなるのだ


本の中では、スティーと呼ばれるある意味普通の男性の一生を通して、瞑想の大切さや、神と対話すること、そしてイエスという予言通りに現れた男の子を教育係として関われた喜び、小さな共同体の中で生き、人間として、歯がゆさ、切なさ、寂しさ、本当に普通の男性。その人がそのエッセネ派の中での事をある時は感情を抑えられずに憤慨し、いやいや、けっこうな頻度で怒る(笑)
そんなとても日常的な中でイエスとの関わりも書いてあって、エッセネ派とはEssence spirit 魂ということだと思う。輪廻転生について、これほどわかりやすい本も無いなって思った。
私は退行催眠と言えばワイス博士が好きだったけど、デロリスキャノンももっと読まねば(笑)と思った。

いや〜(笑)皆さんの方が知っているだろうなと思う。なにせ、ずいぶん昔の本で、デロリスも亡くなってる。今頃〜❗って言われそうではあるが、何しろ私もキリスト教アレルギー(笑)であって、最初から泣いていた。読むのやだ〜❗って。

でも、これを読んだら、えー❗ってなること請け合い。統一教会の人〜❗読んで💦😅これが本当の宗教。お金を詰んだら、どうのって、なわけ無いでしょ。1に瞑想2に瞑想、清潔、愛❤、愛とは赦し、自分を赦し、人を赦し、世界を赦し、受け入れる。地球の美しさに見惚れ、自然と共に生き、調和する。愛で、隣人を愛す。一緒に生活するひとのことね。そして近所。そんな風に広がってゆく。人間、出来損ないで良い。1つくらい良いとこが有れば。それで充分。自分を楽しもう

今回はこれで...